昭和49年(1974年)11月19日

大阪府寝屋川市にて誕生

 

 

真ん中の赤矢印が僕です
真ん中の赤矢印が僕です

寝屋川市立明徳小学校

 

あまり勉強はできませんでしたが、スポーツは人一倍頑張りました。

両親が共働きであったため、小学校6年生まで学童保育に通いましたが、そこでも野球やサッカーを始め、いろいろな遊び・スポーツを習いました。

 

毎年あるマラソン大会で、1位になったこともあります。

この頃はマラソンの練習もしたり、長距離走も得意でした。

 

小学校2年生から地元の少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」に所属し、

4年生まではキャッチャー、6年生までレフトを守りました。

 

1年後輩にはプロ野球でも活躍中の上原浩治もおり、一緒にプレイしました。

彼の負けん気はこの頃からあったと記憶しています。

 

 

寝屋川市立第十中学校

 

バスケットボール部に所属しました。

1年生のころはあまり部活が好きではありませんでしたが、2年生から必死で頑張り、背番号7をもらいフォワードのレギュラーとして頑張りました。

 

バスケ部全体がそうだったんですが、この頃は結構女子にもてた記憶があります。

後にも先にもこの頃が人生ピークのモテキでした。

 

同じように1年生のころは勉強もできず、成績も下から数えた方が早かったですが、1年生の3学期頃から塾通いをするようになり、成績が飛躍的に伸びて勉強が楽しくなりました。

勉強すると良い点数がとれるというまったく当たり前のことにようやく気付き、やる気がでるようになったんだと思います。

 

塾通いも楽しく、夜の11時ころまで塾で勉強し、中学の5教科(英語、算数、国語、理科、社会)で500点をとることを目指して頑張っていました。

もちろん、500点を取れたことはありませんでしたが。。。

 

 

右下の矢印が僕です
右下の矢印が僕です

大阪府立四条畷高等学校

 

大阪の第4学区の進学校です。

歴史は古く、旧制中学校の時代から学校があるそうです。

 

高校時代は勉強はほとんどせず、ラグビー部に入り練習ばかりしていました。

当校のラグビー部は古豪で昔は花園の全国大会にも出ていたのですが、僕たちの代では春の新人戦で大阪予選準優勝までが最高で、花園予選は準決勝で敗退という結果でした。

 

ちなみに、前述のようにラグビー部の歴史も古く、試合用ラガージャージ(写真)は白無地に胸に赤の“畷”の字があります。これは、戦後の貧しい時代にお金がなかったので、白のシャツに血で校名を書いたのが始まりだという逸話があります。

(本当かどうかは定かではありませんが。。。)

 

ポジションはアウトサイドセンター、痛いことは嫌いでしたが、コンタクトプレーの多いポジションで苦労しました。

左手首や鎖骨の骨折、両膝靭帯損傷など、たくさん怪我もしましたが、楽しいラグビー生活を送りました。

 

この頃の部活動で、今の忍耐力が付いたのではないかと思います。

今でもこの時の友人は宝です。

「楠香かほる学び舎の、高き理想に憧れて、、、、」という部歌があり、試合前にはレギュラーも補欠もみんなで歌って試合に臨むのですが、今でも歌えますし、歌うと勇気が湧いてきます。

 

 

一方、

勉強に関しては、数学以外はまったくの苦手で、3年生の花園予選が終わる11月まで受験勉強は全然しませんでした。

どんな仕事をするかなどの将来のことをまったく考えることなく高校時代を終了しました。

 

とりあえず受験した大阪教育大学数学科に合格するも、その頃ようやく医師になることを決め、大学浪人することにしました。

 

もし、大阪教育大学に進学していたらどんな人生だったのだろうと、今でも考えることがあります。

 

 

写真中央の赤い矢印
写真中央の赤い矢印

島根医科大学

 

現在の島根大学医学部ですが、以前は単科大学で看護科もありませんでした。

 

平成6年(19期生)に入学しました。

高校のラグビー部の先輩が1年上にいたため、入学前からラグビー部に勧誘され、迷う間もなく大学でもラグビー部に所属することになりました。

医学部ではラグビー経験者が少ないのが通例でしたが、この年は僕も含めて4人の経験者が入部しました。

僕も1年生からレギュラーとして試合にださせていただき、4年生の時には主将も務めました。

 

高校時代と同様に試験前以外は勉強には打ち込まず、ラグビーやアルバイトに精を出していました。

5年生になり臨床実習がスタートしたことから、自分で言うのもなんですが、割と真面目に勉強するようになりました。やっぱり、医学を目指して入学したので、医療に実際に触れるようになると真面目にもなりますよね。

 

この頃の友人も今でも宝物で、特にラグビー部と同じ臨床実習だった友人たちとは今でも仲良くさせてもらっています。

医療と母校に貢献できるように、同期生みんなで頑張りたいと思っています。